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プロフィール
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仲井間重次は沖縄県石垣島出身、興南高校時代にボクシングと出会い、同高校のボクシング部主将も務めた。電光石火の如き左ストレートを武器に数々の強豪を一撃で沈める程のハードパンチャーであった。
しかし、タイトルには恵まれなかった。その後実力をかわれオリンピックを目指すことを決意し日大に進学したが、物足りず中退、プロボクサーを目指し武者修行の為、米ロサンゼルスに渡った。その後海外でプロデビュー。
しかし、試合中に視神経を痛め、選手としては身を引きトレーナーとして自分が叶えきれなかった世界チャンピオンを絶対に育ててみせる事を決意した。
74年に当時、所属していた協栄ボクシングジムで石垣島の幼馴染で興南高校時代の後輩だった、具志堅用高さんの担当トレーナーとなった。
自らの手で世界チャンピオンを育てる為に米国仕込みのボクシング理論を余すことなく叩き込んだ。
それから2年後の76年、沖縄コンビは世界のベルトを掴んだ。
具志堅氏が3度目の防衛を果たした後、地元沖縄から世界チャンピオンを作り出そうと独立。80年に沖縄ボクシングジムを設立した。
92年には平中明信が世界チャンピオンとなり、夢を叶える。
その後沖縄ボクシングジムから琉球ボクシングジムへとジム名を変更し現在も沖縄から世界チャンピオンを誕生させる為、日々選手を鍛えあげる毎日である。
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